【熟年離婚の記録3】どうやって切り出した?

熟年離婚の記録3

50代で熟年離婚したのその後を綴ります。

熟年離婚したのが47歳の時。
家でパソコンの仕事はしていたのですが、何の取り柄もない普通のおばさんだった私。
普通のおばさんどころか、社会の落ちこぼれでパートに行ってもミスが多く肩身の狭い思いをしていました。
こんな私が夫なしで生活ができるわけがない・・・
この暮らしをうまくやっていくしかない・・
そう考えて20年生きてきました。

目次

離婚を決意したけど

もうこの人とは絶対にやっていけない・・
だんだんその思いが強くなってきました。

一緒にいて同じ空気を吸うのもつらい状態。
声を聴くのも鼻をすする音ももうダメ!

私はもうすっかり「離婚」をこころに決めていました。

でも離婚するのなら当然ながら夫にそのことを告げなくてはなりません。
いくら冷めきった関係とはいえ
一時期は恋に落ちて子供も二人設けた間柄。

そして20年一緒に生活してきた家族です。
そんな家族なのに、よく考えると
自分の本音をこれまでぜんぜん言えなかったことにも気がついてしまいました。

もしかしたらもっと早く「離婚」をちらつかせて
夫に「私はこの結婚生活が不満だ!」って言えば
ここまで溝が深くならなかったのかもしれません。

すべて私が臆病だったから。
もし離婚をちらつかせて本当に「離婚」ってなったときに
私はとてもひとりで生きていけないと思っていたし
そうなることをひどく怖がっていたんです。

私の方から離婚の話を切り出した

ある日意を決して夫がこもっている部屋に入りました。
「話があるんだけど」と私。

そして

「別れて欲しい」
「わかった」

たったこれだけ。

20年の結婚生活はたったこれだけで
簡単に終わってしまうのでした。

家庭内別居でほぼ顔を合わせることもなくなっていたので、もうなんとなく察しがついていたのだと思います。

引き止められることも泣きつかれることもありませんでした。


ただこれだけは言わせてもらいました。

私、幸せじゃなかった・・・
年齢が離れている人と結婚したのは
大事にしてもらいたかったから。

まったく知らない土地にたったひとりで嫁いできたのに、無視されたりバカにされたり・・

そんな結婚生活は望んでいなかった・・と。

うわべだけの関係

思い切って離婚を切り出したが

もともと夫婦で深い話をしたことがなかったので、離婚のときの条件を話し合う機会をお互いに避けていました。
上辺だけの夫婦だったことが災いして何の話し合いもできなかったのです。
思い切って離婚を切り出したのは私です。
こういうことって「先に言ったもの負け」で私から離婚をお願いすることになる。
そうすると向こうのほうが立場が上になって非常にやりにくい状態になります。

当時住んでいたマンションに住みたいと懇願

ただ、当時子どもたちはまだ学生だったし3人で家を出ることはどう考えても無理だったので、夫に出ていってもらうようにお願いしたら「わかった」と。それだけ。

住んでいたのは分譲マンション。もちろん名義は夫。
でもそのお部屋にかなりの思い入れがあることは夫も知っていたし、私が絶対に手放さないのはわかっていたと思います。
そのうえで彼が家を出ていくことを承知したので、「きっとこのまま住まわせてもらえる」と勝手に判断しました。
20年も一緒に暮らしているとだいたい相手の性格はわかります。
とにかく面倒なことが嫌いで、一度家を出たのに取り返しにくるような人ではない!と。

離婚の話し合いはほとんどできない状態で

その時はもう一切家で話すこともなくなっていて、夫は自分の部屋に引きこもっていました。
どうしても用事があるときは、メールを使って。
だから、離婚の話し合いもできる状態ではなかったし、できれば私もそんな話し合いはせずに夫が出ていってくれればいいのに・・・
と勝手なことを考えていました。

面倒でも絶対に離婚の条件を話し合う

夫との会話がない中、お互い話し合いを避けていた

こんなこと当然!
と思われることと思います。

私だってそう思っていました。
専業主婦がいきなり社会に放り出されて生活できるはずはありません。

でも、実際にすっかり心が離れてしかももともと顔色を伺って暮らしていた生活。
そして曲がりなりにも家族として生活してきた20年。
離婚の条件の話を切り出すのはものすごく嫌なものです。
できれば避けてやり過ごしたい。

離婚を私の方から切り出すのだってものすごく勇気が必要だったのに、その上離婚の条件の話を切り出したりすることがなかなか出来ずにいました。
私の中ではとにかく住む家が欲しいということ。
できればこのまま住み慣れた家で。

夫に家を出ていくことに

私の中では「あなたが家を出ていって」「わかった」
これであわよくば私が家に住み続けられる・・と暗黙の了解の解釈を自分の都合よくしてしまいました。
というかそうであって欲しい・・と。

もともと家族だった人に書面で契約を交わすことのハードルの高さは、それを経験した人じゃないとわからないと思います。
でも・・これが私の最大の失敗でした。

すっからかんになった上に住む家を追われる

私が留守の間に夫はいなくなっていた

ほどなくして夫は私がパートに行っている間に家を出ていきました。
何の前触れもなく。
そしてどこに行ったのかもわかりません。

結局、離婚の話し合いもしていない状態でしたが、私としては目の上のたんこぶが取れたような清々した気持ちで離婚届を提出しに行ってしまったのです。

もし離婚を考えている人がこのブログを読んでいたら、絶対に私のような失敗はしないでください。

安易に離婚届を出してしまい・・

勝手にマンションをもらえると思って、これからここで子どもたちと3人で新しい暮らしが始まる!
と思ってしまったのと、せっかく出ていったのに普通に帰ってきたらイヤだな・・
それで夫がいなくなった日にそのまま離婚届を市役所に出しにいきました。

離婚届を出す際にいくつかのチェックポイントがありました。

『慰謝料』『親権』『養育費』『財産分与』だったかと思います。

何にも話し合ってもいないのに、
すべてにチェックを付けてしまったのが私の大失敗です。

とにかく別れたい!

この思いが強かったんです。

結果的にこれが大間違いで、3年後に私は彼から退去通知を受け取ることになります。
その時は子どもたちの学費を私の貯金から払っていたので、もうすっからかんの状態。

お先真っ暗になりました。

もらえるものはしっかりともらうこと!

「せっかく別れる話になっているのにこんなこと言ったらやっぱり別れない!」
とかごねられたら嫌だな。

「家をもらうことができたんだからこれ以上請求したら悪いかな?」
とか、そんな風に遠慮していては自分が泣く羽目になります。
(実際には家はもらえなくて3年後に退去することとなりますが・・・)

離婚はどちらか一方が悪いわけではありません。
私は自分のわがままで離婚を申し出たことで、
どうしても立場が下になったし、離婚を申し出た上にとてもじゃないけど条件を言うなんて!
と思っていました。

それでこじれたら弁護士さんに相談することだってできます!

今まで弁護士さんなんてぜんぜん関わりがなかったし
できればすんなり別れたい!

その気持ち、わかります。
私もそうだったから。

女ひとりで生きていくことの厳しさを考えると
まずはもらえるものはしっかりともらって別れることは必須です。

次ページ →「【熟年離婚の記録4】住み慣れた家を追われる」

 

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