熟年離婚で絶体絶命ゼロからの逆転人生!春さくらです。
私は47才まで18才年上の夫と20年結婚生活を送っていました。
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夫は58才で早期退職をしたので
私は40才で定年夫との生活を始めることになりました。
40才で夫が毎日家にいる生活
今思うとまだ40才って女盛りです。
こんな時に私はもう定年夫と二人きりで家でピリピリした生活を送っていました。
まあ、私は仕事で外に出て
あまり家にいないようにしていましたが。
働かない夫にイライラしまくり
実を言うと私、イライラする・・
っていう感情はこれまであまりなかったかもしれません。
息子が小さい時、ぜんぜん寝てくれなくて
それでイライラしたことはありました。
でも、そのイライラとは
まったく種類の違うイライラです。
もう大声で泣き叫びたいけど
それもできない・・
そんなイライラ。
子どもたちは当時まだ中学生と小学生。
子供が学校にいっている昼間はゴロゴロとテレビを見ています。
帰ってきたら私も連れて
4人で公園に野球しに行こう!
というのです。
中学生の息子は野球部に入っていて
運動神経も悪くまったく野球ができなかったため、それでそんなことを考えたのかもしれません。
でも、そんなことよりも働いてほしい!
まだまだ子供がこれからお金がかかるのに遊んでる場合じゃないでしょ!
私の性格上、強くは言えませんでしたが
思いっきり不機嫌な毎日を過ごしていました。
乳がんになった原因は
私は42歳のとき乳がんが見つかり
左乳房を全摘出しています。
うちは癌の家系ではありません。
なのでなぜ私が癌になったのか?
おそらく、イライラ、モヤモヤを
どこにも言えなくてとっても苦しい思いをしていたせいかも?
と思っています。
黒い塊が胸の中でザワザワする。
夫が働いてくれたらいいのに・・・
この生活がずっと続くと思ったら
本当に泣きたい気持ちになりました。
定年は65才が標準になりましたが
私が40才の頃なので今から15年ほど前は、60才定年が一般的でした。
うちの場合、早期退職で58才でしたので、今に比べるとずいぶん早い退職です。
でも、65才には必ず定年になって
ご主人が家にいる生活が始まります。
そのときに夫婦のあり方を考える時がくると考えられます。
夫婦二人っきりになった時に、幸せな老後を過ごせると幸せですね。
私の両親の場合
やはり父が60才で定年退職して
それからずっと家にいます。
母は働いていたのでしばらくは
父が家にいて母が仕事に出るという生活でした。
母が60才で仕事をやめてからは
ずっと二人っきりで家にいますが
ふたりでおしゃべりしたり、旅行にでかけたり・・
そんな両親を見ていて
会話のない私と夫の関係が
とても希薄なものに感じました。
今まできちんと向き合ってこなかった夫婦関係
よく考えるといつもテレビがついていて
テレビなしで会話が成り立つことはほとんどなかったんです。
だから相手が何を考えているのか?
おそらく向こうも同じです。
いいたいことをお互い言えない関係のまま20年。
その結果が熟年離婚です。
定年後のことを考えてみる
幸せな定年後ってどうしたら迎えられるんだろう?
私はもうその心配はなくなりましたが・・・
自分が辛かったこともあり
そこをすごく知りたい!と興味が出てきています。
定年後も仲の良い夫婦関係のためには
うちの場合、退職金は標準より少し少なめでした。
子どもたちにもお金がかかっていたので
5年で1000万を使ってしまいました。
老後の資金はみるみるうちになくなって
旅行はおろかお金がないことも
不仲になった原因のひとつです。
やっぱりお金に余裕があるほうが
老後の夫婦の関係も安泰だと考えられます。
老後の資金を賢く増やすという選択もきっとありだと思います。
定年後も仲の良い夫婦関係のためには
うちの場合、退職金は標準より少し少なめでした。
子どもたちにもお金がかかっていたので
5年で1000万を使ってしまいました。
老後の資金はみるみるうちになくなって
旅行はおろかお金がないことも
不仲になった原因のひとつです。
やっぱりお金に余裕があるほうが
老後の夫婦の関係も安泰だと考えられます。
老後の資金を賢く増やすという選択もきっとありだと思います。
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