熟年離婚のきっかけ
私が熟年離婚をしたのは47歳の時のことです。
それまでもぜんぜん考えなかったわけではありません。
20年も夫婦をやっていれば多少なりともそういうことは普通に考えるのではないでしょうか?
熟年離婚をい考えたのはこんなきっかけでした。
- 夫からのモラハラ行為
- 家庭内別居の状態から開放されたい
- 50歳を目前に自分の人生、これでいいのかな?
そんなところで、あくまで不倫とか浮気とか
そのようなことはまったくありませんでした。
ではなぜ離婚という決断に至ったか?
結婚当時から機嫌が悪くなると無視されました。
今だったらそんな奴、さっさと離婚すればよかったのですが、やはり今から30年近く前だと一度結婚したら最後まで添い遂げるというのが常識でした。
ほんのちょっとのこと(結局いつも原因がわからない)でヘソを曲げて何週間もしゃべってくれなくなります。
当時のわたしは自分に落ち度があると本気で思っていました。
それで夫の機嫌を損ねないように最大限に気を使いながらの結婚生活でした。
夫婦共通の趣味も楽しみもない
友達夫婦のように同じ趣味があればよかったのですが、何一つ共通点がなくふたりでいても別々のことをしているような暮らしです。
いつの間にか会話も無くなって家庭内が寂しい空気に包まれていました。
しつけなどの子育てにまったく参加していなかった
子育て中は無我夢中で不思議とそれに気がつかなかったのですが、後になってよく思い出してみると子供のしつけにはまったく協力してくれませんでした。
それどころか夫自身もとてもだらしない生活だったので、子供たちに規則正しい生活をしつけようとしても父親がそうではないため、とてもやりにくかったことを覚えています。
平和な結婚生活を演じていた
「熟年離婚」を意識し始めてからは、夫の顔を見るのが辛く食事もろくに喉が通らなかった。
- 自分一人で本当に生きていけるのか?
- あれだけ両親に反対されていたのに今更離婚した・・って言えるのか?
- 子どもたちにはなんていうのか?
もうこのことで当時は頭の中はグルグルと思考が回っていました。
結果的に今は食べていけているし、心の中がとても豊かになりました。
このことはまた何かの機会で書きたいと思っていますが、
家という狭い環境の中でもうどうしようも合わない人と暮らすことを考えるとのびのびと自分らしく生活できるということは、お金に代えがたい贅沢なものです。
夫婦関係の修復は可能か?不可能か?【熟年離婚】
一世一代の決断をしなければ・・
という思いがどんどん強くなっていく一方で、やっぱり関係を修復させたほうがいいのか?
という思いもありました。
当然のことながらこの頃は「夫婦生活」もまったくありませんでした。
私が乳がんになって片方の乳房を切除してしまったこともあり、夫からの誘いもなくなく私も気が乗らないのでそれはちょうどよかったのですが。。。
でも仲良くもなくそういう関係もない状態でこの先何十年も一緒に暮らしていける?私の中ではほぼ答えが出ていました。
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